日差しが突き刺さるように痛い。
今年は、冬も、春も、夏も、なんだか変。
残すところ、ここでのお仕事もあと2週間(+成績処理で1週間)。
帰国間際になったら、忙しくてそんな時間がない気がするので、
ちょいと早めだけど、今学期の反省をば。
【1年生会話】
初めての3クラス。
まあ、見事にクラスのカラーがバラバラ。
おもしろくもあり、大変でもあった。
会話の授業は、わたしが去ったあとも3年生前期まで続くわけだけど、
やっぱり最初の半年間で、
学生の「会話」や、「会話の授業」に対する取り組みは決まってしまうと思う。
まず、「会話」とは、話すこと。
しかし、1年生が日本人と話す機会はとても少ない。
せいぜい、わたしぐらいだ。
だから、クラスメートと日本語で話すこと、
まずは、このことに意義を見出してもらわなくてはならなかった。
なぜなら、彼らは中国語を使えば、難なく意思疎通ができるからだ。
そこをあえて、日本語で話すようにしなければならない。
“言葉は使わなければ身につかない”
これは、学生自身もわかっている。
でも、“日本人と話す機会がない”という。
“それなら、クラスメートを相手に、日本語を使う機会を増やせばよいではないか。”
“最初は間違いがあってもいい。使おうとすることが、使う時間を増やすことが大事なのだ。”
このことを繰り返し言ってきて、
授業中、授業外に、日本語を使う時間を与えようと努力してきたつもりだ。
でも、果たしてわたしは授業中に、本当に「使う時間」を十分に与えられただろうか?
そしてそれは、彼らの満足のいく「使う時間」になっただろうか?
次に、「会話の授業」で何より大切なのは、
クラスメートの前で日本語を話すことに対する羞恥心を取り除くことだ・・・と思う。
会話の授業は、わたしが去ったあとも、ロールプレイ、討論会、調査発表と、
常にクラスメートの前で自分の日本語をさらけ出していかなければならない。
クラスメートの前で日本語を話すことを“恥ずかしい”と思ってしまっては、
会話の授業の効果は期待できない。
この半年間、学生の羞恥心を取り除くこと、
会話の授業の大前提である「話しやすい雰囲気作り」をすることに
心を配ってきたつもりだ。
来期からの会話の先生がやりやすいように、
そして何より、学生たちが会話の授業の効果の恩恵を受けられるように、
と思ってやってきたけれど、
成功した(と思う)クラスあり、まだまだ十分に出来なかった(と思う)クラスあり。
この答えは、来期以降に出る。
さあ、いったいどうなるか・・・。
会話は来週、最後の授業、そして再来週、試験。
面接試験、64人切りっ!
【論文分析と写作】
修士1年生。
初めて持つ授業。
論文分析と写作と、週1回90分でやるのは、限界がある。
そこで、写作は復習にとどめ、論文分析を中心にすることにした。
こちらではゼミ形式の授業はほとんどないから、
論文を書くときは、学生は指導教官に一対一で指導を仰ぐことになる。
もちろん、先行研究だって、一人で読んでいくわけだ。
でも、一人で外国語の論文を読むのって、そんなに簡単なことじゃないと思う。
それに、一人で論文を読むのと、他の人と一緒に論文を読むのとでは、
理解度も分析の深さも違ってくるんじゃないだろうか。
というわけで、うまくいくか心配だったけど、
まず、導入で、論文分析のポイントを紹介しながら何回か練習して、
次に、グループで自分の研究分野の論文を1つ選び、分析と発表を課した。
もちろん、発表担当者以外にも、論文を読んできてもらうことにした。
ただ、心配な点はまだあって、
大学院生の専門が、日本文学、日本文化、日本語学の3分野にまたがること。
専門外の論文を読むことが、果たして彼らの役に立つのか。
でも、まったく違う分野の論文でも、いい論文はいいし、だめな論文はだめだ。
それを判断できる目を養いたかった。
それに、違うスタイルの論文を読むことで、
自分の分野の論文の特徴がより明確に見えてくるかもしれない。
論文を客観的に評価できる目を養って、自分の分野の論文の特徴をつかめば、
それは結局、写作にも反映されてくるのではないか。
何回か論文分析の発表を行ったけど、発表担当者の分析力は高かった。
問題点と評価できる点を探し出そうという姿勢で論文を読むことがよかったのだと思う。
それに、なんと今週は、
「他の授業で自分が書いたレポートを分析してみたい」というつわものが現れた。
今までの論文分析の視点を通して、自分のレポートのどの点がよく、どの点が足りないのかを、
客観的に分析してみたいという。
もちろんOKして、やってもらった。
その分析の結果は、発表者だけでなく、他の学生にも勉強になるものだったし、
論文分析と写作がやっとつながったようで、わたしもうれしかった。
一方、発表者以外の学生には、
発表者の分析への評価や、論文に対する評価を発言してもらっていた。
最初に比べ、積極的に発言しようとする学生が増えては来たものの、
やはり、授業前にしっかり論文を読んで授業に臨んだ学生と、
そうでない学生との差が出てしまった。
“大学院生の授業なのだから・・・”と言ってしまえばそれまでだけど、
でも、やっぱり全体を引き込んでいける力がわたしに足りなかった。
“考えることは苦しいこともあるけど、楽しいことなんだ”
と感じてもらいたいと思ってやってきたけれど、
(だって、考えることが嫌いだったら、修論なんて、書けっこないもの)
果たして何人がそう実感してくれただろうか。
いい修論を書いてほしいな。
試験はなしで、最終レポート。
こちらが指定した各自の分野の論文分析をしてもらう。
ってことは、評価するためにわたしも論文分析しなきゃならないわけで。
・・・きっついなあ。
半年間でやれることは限られているけど、
やっぱり足りないところがまだまだまだまだいっぱいある。
でもそれは、「やりたいことがいっぱいある」とイコールだと思う。
これからも、授業して反省して、を繰り返していきたい。
この仕事、好きだから。
そうなれるように、就職活動をがんばらねばね・・・。